特別な「天才」が存在しているわけである。普通人の聴覚とベイトウベンの聴覚とを同一視するわけにはいかないのである。犬や猫は恐らく人間の所有していない遥かに微妙な嗅覚を持っているに相違ない。
禅家では無念無想というようなことを常套語に使用しているが、やはり一種のトランス状態に没入した意味だと自分は考えている。そこになにか普通とは異なった心的現象が現われて「悟得」することになるのであろう。問答も常識的に考えると人を馬鹿にした洒落の交換とも思われるが、やはり一種のテレパシイが行なわれるのだと自分は信じている。由来、直覚は天才に付き物ではあるが、これを昔から「霊感」といったのはまことに当を得た言葉だと思っている。偉大なる科学者のすべての大発見や発明も単なる理性の働きによっては決してとげられなかったに相違ない。
自分は近頃、自分の生まれた「日本」という郷土に生息している「日本人」の正体をハッキリ把んで見たい欲望にかられている。ほんとうにハッキリした「国民性」というようなものがあるかどうか、あれば、それは実際どんな風なものなのであるか、等々に就いてである。勿論、ひどい雑種であることだけはわかって
前へ
次へ
全9ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
辻 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング