一つ「だちゃカン!」という方言を紹介してそれでおしまいにする。ダチャカン――というのは「埓があかない」の転訛で、つまり「ダメだ」という意味だ。たとえば「自由をわれ等に」てなことをいったってとうていダチャカンわい――とまあいったような風にだ。
 かえってから義弟の家にいそってやっぱり毎日ゴロゴロねてばかりいた。それから義弟にていよくにげられたので――(あたりまえの話すぎて少しもムリもないがね)――ちょッといどころがなくなり、仕方がないから「桜花かや散りじりに」若しくは「あのゆめもこのゆめも――」式にのっとり、私だけは深川の富川町か千住の涙橋の少し向こうのFという家にでも当分厄介になろうかと考えた。深川のトミには時々僕に酒をおごってくれるルンペンの大パトロンがいるし、Fという木賃には僕を大先生扱いにしているフアンがいるからだ。僕のフアンにも音楽の場合と同じくつまり上はスットントンより下はベエトウベンに至るまであるように僕のフアンにも中々いろんなのがいるが――どうも新居先生のように文化マダムや、モデルンギャールの御嬢さんのいないのには――くさるであるです。

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 辻潤後援
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