賺《すか》されたりして――それから気がついて見ると、いつの間にかお隅の身体は番人の腕の中に在ったとか言うことで。子供は二人が喧嘩でもするのかと思って、烈しく泣いたということです。
 間もなくお隅はこの番人と夫婦になりたいということを、人を以《もっ》て、父親のところへ言込みました。
 お隅が迷いもし、恐れもしたことは、それから又た間もなく夫婦約束を取消したいと言って、父親の許《ところ》へ泣いて来たのでも知れる。お隅は小鳥です。その小鳥が網を張って待っていた番人の家へ出掛けて行って、前《さき》の約束を断ろうとすると――獣欲で饑渇《うえかわ》いた男のことですから堪《たま》りません、復たお隅は辱《はずか》しめられました。番人は手柄顔に吹聴する、さあ停車場附近では専《もっぱ》ら評判、工夫の群まで笑わずにはおりませんのでした。とうとうお隅は父親へ置手紙をして、ある夜の闇に紛れて、大屋を出奔して了いました。
 父親がこの書記に見せた手紙の中には、無量の悲哀《かなしみ》が籠《こ》めてあったということです。鉄釘《かなくぎ》流に書いた文字は一々涙の痕《あと》で、情が迫って、言葉のつづきも分らない程。それは主人へ対して申訳のないこと、朝夕にまといつく主人の子供もさぞ後で尋ね慕うかと思えば愍然《ふびん》なこと、「これも身から出た錆《さび》、父《とっ》さん堪忍しておくれ、すみより」としてありましたそうです。父親は無学な娘の手紙を読んで、その上に熱い涙を落しましたとのこと。
「という訳で」と書記は冷くなった酒を飲干して、「ところが同僚は極の好人物《ひとよし》だもんだで、君どうでしょう、泣寝入さ。私は物数寄《ものずき》にその番人を見に行きやした。丁度、直江津の二番が上って来た時で、その男が饅頭笠《まんじゅうがさ》を冠って、踏切のところに緑色の旗を出していやしたよ。え――君はその番人をどんな男だと思うえ。せめて年でも若いのかと? へへへへへ、いやはや大違い。私も魂消《たまげ》たねえ、まあ同僚と同い年位の爺《おやじ》じゃないか」
 源は蒼くなって、炉に燃え上る楢の焚火《たきび》を見入ったまま。
「それから一月ばかり経って」と書記は思出したように震えながら、「私は一度あの子に行逢ったがね、その時のお隅さんは――へえもう、がらりと変っていやしたよ。蟀谷《こめかみ》のところへ紫色の頭痛|膏《こう》なんぞを貼《は》って、うるんだ目付をして、物を思うような様子をして、へえ前の処女《おぼこ》らしいところは少許《ちっと》もなかった。私があの子を見ると、罅痕《ひびたけ》の入った茶椀を思出すと言ったは、こういう訳でさ。君もその番人の顔が見たいと思うでしょう。なんなら大屋の停車場へ序《ついで》に寄って見給え。今でも北の踏切のところに立って、緑色の旗を出して……へへへへ」
「先生、もう沢山」
 と源は銀貨をそこへ投出して置いて、鹿の湯を飛出しました。

    参

 さすがに母親《おふくろ》は源のことが案じられて堪りません。海の口村の出はずれまで尋ねて参りますと、丁度源が鹿の湯の方から帰って来たところで、二人は橋の頭《たもと》で行逢いました。母親は月光《つきあかり》に源の顔を透して視て、
「お前《めえ》は、まあ何処へ行ってたよ。父《とっ》さんも何程《どのくれえ》心配していなさるか知んねえだに。私《わし》はお前を探して歩いて、どこを尋ねても――源さは来なさりゃせんとばかり。さあ、私と一緒に帰りなされ」
 それは静かな、気の遠くなるような夜でした。奥山の秋のことですから、日中《ひるなか》とは違いましてめっきり寒い。山気は襲いかかって人の背《せなか》をぞくぞくさせる。見れば樹葉《きのは》を泄《も》れる月の光が幹を伝って、流れるように地に落ちておりました。なにもかも※[#「※」は「もんがまえ+貝」、89−5]寂《ひっそり》として、沈まり返って、休息《やす》んでいるらしい。露深い草のなかに鳴く虫の歌は眠たい音楽のように聞える。親子は、黄ばんだ光のさすところへ出たり、暗い樹の葉の蔭へ入ったりして、石ころの多い坂道を帰って行きました。
「そいッたっても、馬鹿な子だぞよ」と母親は萎れて歩きながら、「お前、お隅の父親《おやじ》さんも飛んで来なすって、医者様を呼ぶやら、水天宮様を頂かせるやら、まあ大騒ぎして、お隅も少許《ちったあ》痛みが治ったもんだで、今しがた帰って行きなすった。女の身体というものは、へえ油断がならねえ。あれで血の道でも起ってからに、万一《もしも》の事が有って見ろ。これが巡査《おまわり》さんの耳へ入《へい》ったものならお前はまあどうする気だぞい――痴児《たわけ》め。
 忘れたかや。お前にはお梅さという許婚《いいなずけ》があったからしてに、父さんはお隅を家へ入れねえと言いなすったのを、お前がなんでもあの子でなくちゃならねえように言うもんだで、私が父さんへ泣いて頼むようにして、それで漸《やっ》と夫婦になった仲じゃねえかよ。お隅を貰《もら》ってくれんけりゃ、へえもう死ぬと言ったは誰だぞい。
 私はお前の根性が愍然《かわいそう》でならねえ。私がよく言って聞かせるのは、ここだぞよ。お前は独子《ひとりっこ》で我儘《わがまま》放題に育って、恐いというものを知らねえからしてに――自分さえよければ他はどうでもよい――それが大間違だ、とよく言うじゃねえかよ。お前の父さんも若《わけ》い時はお前と同じ様に、人を人とも思わねえで、それで村にも居られねえような仕末。今すこしで野たれ死するところであったのを、漸《やっ》と目が覚めて心を入替《いれけ》えてからは、へえ別の人のようになったと世間からも褒められている。その親の子だからしてに、源さも矢張《やっぱり》あの通りだ、と人に後指をさされるのが、私は何程《どのくれえ》まあ口惜《くやし》いか知んねえ」
 と母親《おふくろ》は仰《あおむ》きながら鼻を啜《すす》りました。
 ややしばらく互に黙って、とぼとぼと歩いてまいりますと、やがて蕎麦畠《そばばたけ》の側《わき》を通りました。それは母親と源とお隅の三人で、しかも夏、蒔《ま》きつけたところなんです。刈取らずに置いた蕎麦の素枯《すがれ》に月の光の沈んだ有様を見ると、楽しい記憶《おもいで》が母親の胸の中を往ったり来たりせずにはおりません。母親は夢のように眺《なが》めて幾度か深い歎息《ためいき》を吐きました。
「源」と母親は襦袢《じゅばん》の袖口で※[#「※」は「めへん+匡」、90−11]《まぶた》を拭いながら、「思っても見てくれよ。私もなあ、この通り年は寄るし、弱くはなるし、譬《たと》えて見るなら丁度|干乾《ひから》びた烏瓜《からすうり》だ――その烏瓜が細い生命《いのち》の蔓《つる》をたよりにしてからに、お前という枝に懸っている。お前が折れたら、私はどうなるぞい。私の力にするのはお前、お前より外には無えのだぞよ」
 老の涙はとめどもなく母親の顔を伝いました。時々立止って、仰《あおむ》きながら首を振る度に、猶々《なおなお》胸が込上げてくる。足許の蟋蟀は、ばったり歌をやめるのでした。
 源は無言のまま。
「父さんの言いなさるには、あんな薮《やぶ》医者に見せたばかりじゃ安心ならねえ。平沢に骨つぎの名人が有るということだによって、明日はなんでも其処へお隅を遣《や》ることだ、と言ってなさる。なあ、お前も明日の朝は暗え中に起きて、お隅を馬に乗せて、村の人の寝ている中に出掛けて行きなされ」
 こういう話をして、家へ帰って見ますと、お隅も寝入った様子。母親《おふくろ》は源を休ませて置いて、炉辺で握飯をこしらえました。父親も不幸な悴《せがれ》の為に明日履く草鞋《わらじ》を作りながら、深更《おそく》まで二人で起きていたのです。度を過した疲労の為に、源もおちおち寝られません。枕許の畳を盗むように通る鼠の足音まで恐しくなって、首を持上げて見る度に、赤々と炉に燃上る楢の火炎《ほのお》は煤けた壁に映っておりました。源は心《しん》が疲れていながら、それで目は物を見つめているという風で、とても眠が眠じゃない――少許《すこし》とろとろしたかと思うと、復た恐しい夢が掴みかかる。
 夜中にすこし時雨《しぐれ》ました。
 源は暁前《よあけまえ》に起されて、馬小屋へ仕度に参りましたが、馬はさすがに昨日の残酷な目を忘れません。蚊《か》の声のする暗い隅の方へとかく逡巡《しりごみ》ばかりして、いつもの元気もなく出渋るやつを、無理無体に外へ引出しました。お隅の萎れた身体は鞍《くら》の上に乗せ、足は動かさないように聢《しっか》と馬の胴へ括付《くくりつ》けました。母親《おふくろ》は油火《カンテラ》を突付けて見せる――お隅は編笠、源は頬冠《ほっかぶ》りです。坂の上り口まで父親に送られて、出ました。
 夜はまだ明放れません。鶏の鳴きかわす声が遠近《あちこち》の霧の中に聞える。坂を越して野辺山が原まで出てまいりますと、霧の群は行先《ゆくて》に集って、足元も仄暗《ほのぐら》い。取壊《とりくず》さずにある御仮屋《おかりや》も潜み、厩《うまや》も隠れ、鼻の先の松は遠い影のように沈みました。昨日の今日でしょう、原の上の有様は、よくも目に見えないで、見えるよりかも反って思出の種です。夫婦の進んでまいりましたのは原の中の一筋道――甲州へ通う旧道でした。二人は残夢もまだ覚めきらないという風で、温い霧の中をとぼとぼと辿《たど》りました。
 高原の上に寂しい生活を送る小な村落は、旧道に添いまして、一里置位に有るのです。やがて取付《とっつき》の板橋村近く参りますと、道路も明くなって、ところどころ灰紫色《はいむらさき》の空が見えるようになりました。
 こうして馬の口を取って、歩いて行くことは、源にとりまして言うに言われぬ苦痛です。源も万更《まんざら》憐《あわれ》みを知らん男でもない。いや、大知りで、随分|落魄《おちぶ》れた友人を助けたことも有るし、難渋した旅人に恵んでやった例もある。もし、外の女が災難で怪我でもして、平沢へ遣らんけりゃ助からない、誰か馬を引いて行ってくれるものは無いか、とでも言おうものなら、それこそ源は真先に飛出して、一肌ぬいで遣りかねない。人が褒めそやすなら源は火の中へでも飛込んで見せる。それだのに悩み萎れた自分の妻を馬に乗せて出掛るとなると、さあ、重荷を負《しょ》ったような苦痛《くるしみ》ばかりしか感じません。もうもう腹立しくもなるのでした。
 それ、そういう男です。高慢な心の悲しさには、「自分が悪かった」と思いたくない。死んでも後悔はしたくない。女房の前に首を垂《さげ》て、罪過《あやまち》を謝《わび》るなぞは猶々出来ない。なんとか言訳を探出して、心の中の恐怖《おそれ》を取消したい。と思迷って、何故、お隅を打ったのかそれが自分にも分らなくなる。「痴《たわけ》め」と源は自分で自分を叱って、「成程、打ったのは己が打った、女房の命は亭主の命、女房の身体は亭主の身体だ。己のものを打ったからとて、何の不思議はねえ」弁解《いいほど》いて見る。思乱れてはさまざまです。源の心は明くなったり、暗くなったりしました。
 馬は取付く虻《あぶ》を尻尾で払いながら、道を進んでまいりましたが、時々眼を潤ませては、立止りました。神経の鋭いものだけに、主人を懐しむことも恐れることも酷《はげ》しいものと見え、すこし主人に残酷な様子が顕れると、もう腰骨《こしぼね》を隆《たか》くして前へ進みかねる。
「そら牛馬《うしうま》め」
 と源は怒気を含んで、烈しく手綱を引廻す。「意地が悪くて、遅いから、牛馬だ。そら、この牛め」
 馬は片意地な性質を顕して、猶々出足が渋ってくる。
「やい戯※[#「※」は「ごんべん+虚」、93−9]《じょうだん》じゃねえぞ。余程《よっぽど》、この馬は与太馬(駑馬《どば》)だいなあ。こんな使いにくい畜生もありゃあしねえ」
 長い手綱を手頃に引手繰《ひきたぐ》って、馬の右の股《もも》を打つ。
「しッ、しッ、そら、おじいさん」
 馬は渋々ながら出掛けるのでした。
 晴れて行く高原の霧のなが
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング