《しらはり》の樹の下を選《よ》って、美しい葉蔭に休みました。これまで参りましても、夫婦は互に打解けません。源はお隅を見るのが苦痛で、お隅はまた源を見るのが苦痛です。きのうの事が有ましてから、源は妙に気まずくなって、お隅と長く目を見合せていられない。年若な妻が馬の上に悩萎《なやみしお》れて、足を括付《くくりつ》けられているところを見れば、憐みの起るは人の情でしょう。しかし、ゆうべの書記の話を思出すと、線路番人のことが眼前《めのまえ》に活きて来て、譬えようもない嫉妬《しっと》が湧上る。源は藁草履と言われる程の醜男子《ぶおとこ》ですから、一通りの焼手《やきて》ではないのです。編笠越しに秋の光のさし入ったお隅の横顔を見れば、見るほど嫉妬は憐みよりも強くなるばかりでした。
「お隅、お前は何をそんなに考えているんだい」
「何も考えておりゃせんよ」
「定めしお前は己を恨んでいるだろう。己に言わせると、こっちからお前を恨むことがある」
「何を私は貴方に恨まれることが有りやすえ」
 と突込むように言われて、源はもう憤然《むっ》とする。さすがにそれとは言|淀《よど》んで、すこし口唇を震わせておりましたが、
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