「爺《おやじ》、己《おれ》もお前《めえ》も此頃《こないだ》馬を買った覚がある。どうだい、この馬は何程《どのくれえ》の評価《ねぶみ》をする――え、背骨の具合は浅間号に彷彿《そっくり》だ。今日この原へ集った中で、この程《くれえ》良い馬は少なかろう」
 と一人の馬喰《ばくろう》が手を隠して袖《そで》口を差出す。連の男は笑いながらその内《なか》へ手を入れて、
「こうだ」
「ふふ、そうさ」
 と傍に手綱を控えて立っている若者に会釈して、
「若い衆、怒っちゃいけやせん。少々|私《わし》にこの馬を撫《な》でさして御くんなんしょ」
 光沢《つや》を帯びた栗毛の腰の辺を撫下し、やがて急に尻毛《しりお》を掴んで、うんと持上げて見ました。
「まあ私が買えばこの馬だ」
 若者は馬喰の言葉に、したたか世辞を言われたという様子で、厚い口唇《くちびる》に自慢らしい微笑《ほほえみ》を湛《たた》えました。
 源吉というのがこの若者の名で、それを山家《やまが》の習慣《ならわし》では頭字ばかり呼んで、源で通る。海の口村の若い農夫には、いずれも綽名《あだな》があって、源のは「藁草履《わらぞうり》」というのでした。それは山家の
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