の手合の財産かなら、無論、馬です。
 清仏《しんふつ》戦争の後、仏蘭西《フランス》兵の用いた軍馬は吾陸軍省の手で買取られて、海を越して渡って来ました。その中の十三頭が種馬として信州へ移されたのです。気象勇健な「アルゼリイ」種の馬匹《ばひつ》が南佐久の奥へ入りましたのは、この時のことで。今日一口に雑種と称えているのは、専《おも》にこの「アルゼリイ」種を指したものです。その後、亜米利加《アメリカ》産の浅間号という名高い種馬も入込みました。それから次第に馬匹の改良が始まる、野辺山が原の馬市は一年増に盛大になる、その噂さがなにがしの宮殿下の御耳にまで届くようになりました。殿下は陸軍騎兵附の大佐で、かくれもない馬好でいらせられるのですから、御|寵愛《ちょうあい》の「ファラリイス」という亜刺比亜《アラビア》産を種馬として南佐久へ御貸付になりますと、さあ、人気が立ったの立たないのじゃ有ません。「ファラリイス」の血を分けた当歳が三十四頭という呼声になりました。殿下の御|喜悦《よろこび》は何程《どんな》でございましたろう――とうとう野辺山が原へ行啓を仰出《おおせいだ》されましたのです。

    壱


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