っきり寒い。山気は襲いかかって人の背《せなか》をぞくぞくさせる。見れば樹葉《きのは》を泄《も》れる月の光が幹を伝って、流れるように地に落ちておりました。なにもかも※[#「※」は「もんがまえ+貝」、89−5]寂《ひっそり》として、沈まり返って、休息《やす》んでいるらしい。露深い草のなかに鳴く虫の歌は眠たい音楽のように聞える。親子は、黄ばんだ光のさすところへ出たり、暗い樹の葉の蔭へ入ったりして、石ころの多い坂道を帰って行きました。
「そいッたっても、馬鹿な子だぞよ」と母親は萎れて歩きながら、「お前、お隅の父親《おやじ》さんも飛んで来なすって、医者様を呼ぶやら、水天宮様を頂かせるやら、まあ大騒ぎして、お隅も少許《ちったあ》痛みが治ったもんだで、今しがた帰って行きなすった。女の身体というものは、へえ油断がならねえ。あれで血の道でも起ってからに、万一《もしも》の事が有って見ろ。これが巡査《おまわり》さんの耳へ入《へい》ったものならお前はまあどうする気だぞい――痴児《たわけ》め。
忘れたかや。お前にはお梅さという許婚《いいなずけ》があったからしてに、父さんはお隅を家へ入れねえと言いなすったのを、
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