御燗《おかん》がつきやした」
と時代な徳利を布巾《ふきん》で持添えて、勧めた。源は熱燗の極《ごく》というところを猪口にうけて、
「お前《めえ》の御酌だと、同じ酒が余計に甘く飲めるというもんだ」
「まあ、源さの巧く言うこと」
「どうだい、私の女房になる気はねえかよ」
「戯語《じょうだん》ばかりお言いでない」
客も黙ってはいられません。黒々と生延《はえの》びた腮《あご》の鬚《ひげ》を撫廻しながら、
「とかく、若い方の傍へは寄りたいものと見えるね」
と、ちらちらした目付で、娘を嬲《なぶ》りにかかる。娘はすこし憤然《むっ》として見せて、
「この御客さんも、これでなかなか学者だぞい」
「へへへへ」と客はいやに笑って、「これでとは何だよ。人間も朝から晩まで稼《かせ》ぐばかりじゃ、ねっからつまりませんや。ちったあ自分の好自由になる時がなくちゃ」
「貴方《あんた》、好事《いいこと》を教えて上る」と娘は乗出して、「明日はゆっくりお勝さんの許《とこ》へ行って、一緒に小屋の内で本でも読みやれ」
「へへへへ、明日は日曜だ。日本外史でも読まずかと思って」
「先生は何方《どちら》ですい」と源は尋ねて見ました
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