根の傍に花を啄《つ》んでいた鶏は、この物音に驚いて舞起つもあれば、鳴いて垣根の下を潜《もぐ》るもあり、手桶の水は葱畠《ねぎばたけ》の方へ流れて行きました。
「ちょッ、勿体《もったい》をつけやがって」
と叱るように言って、ややしばらく源は、お隅の悶え苦しむ様を見ておりました。やがて、愚しい目付をしながら、
「どこがそんなに痛いよ。どれ……見せろ」
源の手がお隅の右の足に触るか触らないに、女は悲鳴を揚げて顔色を変えました。
「大袈裟《おおげさ》な真似《まね》をするない――狸《たぬき》め」
父親《おやじ》の影が見えたので、源は窃《そっ》と表の方へ抜出しました。何処へ行くという目的《めあて》もなく、ぶらりと出掛けて、やがて二三町も歩いてまいりますと、さ、足は不思議に前へ進まなくなりました。源は恐怖《おそれ》を抱くようになったのです。
弐
「源さ、お入りや。なんだって障子の外からなんぞ覗《のぞ》くんだえ」
と声を掛けましたのは、鹿の湯の女亭主《かみさん》です。源は煤《すす》けた障子を開けて、ぬっと蒼《あお》ざめた顔だけ顕《あらわ》しながら、
「私は女衆ばかりかと思って」
「女
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