は下して、遽《にわか》に四辺《そこいら》が寂しくなった。細々と白い煙の上る松蔭には、店を仕舞って帰って行く商人の群も見える。馬は主人を置去にして、そこここと手綱を引摺《ひきず》りながら、「かしばみ」の葉でも猟《あさ》っているらしい。今は、なにもかも源を見下げたり、笑ったりしてる――小鳥ですら人を軽蔑したような声で鳴いて通る、と源には思われるのでした。忌々しいものです。源は腹愈《はらいせ》のつもりで、路傍《みちばた》の石を足蹴《あしげ》にしてやった。尊大な源の生命《いのち》は名誉です。その名誉が身を離れたとすれば、残る源は――何でしょう。自分で自分を思いやると、急に胸が込上げて来て、涙は醜い顔を流れるのでした。やがて、思いついたように馬の傍へ馳寄《かけよ》って、力任せに手綱を引手繰《ひったく》りましたんです。
「こんな目に逢ったのも汝《うぬ》のお蔭だ」
凡夫の悲しさ、源はその日のことを馬の過失《せい》にして、さんざんに当り散した。丁度、罪人を撻《むちう》つ獄卒のように、残酷な性質を顕したのです。馬に何の罪があろう。しかし畜生ながらに賢いもので、その日の失敗《しくじり》を口惜《くちお》し
前へ
次へ
全53ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング