負を予想する、贔顧《ひいき》々々につれて盛に賭《かけ》が行われる。わけても源の呼声は非常なもので、あそこでも藁草履、ここでも藁草履、源の得意は思いやられました。最初《のっけ》から四番目まで、湧くような歓呼の裡《うち》に勝負が定まって、さていよいよお鉢《はち》が廻って来ると、源は栗毛《くりげ》に跨《またが》って馬場へ出ました。御仮屋の北にあたる埒《らち》の際《きわ》に、源の家族が見物していたのですが、両親の顔も、叔母の顔も、若い妻の顔すらも、源の目には入りません。馬上から眺めると群集の視線は自己《おのれ》一人に注《あつま》る、とばかりで、乾燥《はしゃ》いだ高原の空気を呼吸する度《たび》に、源の胸の鼓動は波打つようになりました。烈しい秋の光は源の頬を掠《かす》めて馬の鼻面《はなづら》に触《あた》りましたから、馬の鼻面は燃えるように見えました。
 五人の乗手の中で、源が心に懼《おそ》れたのは樺《かば》を冠った男です。白、紫、赤などは、さして恐るべき敵とも見えませんのでした。源は青です。樺は一見神経質らしい、それでいやに沈着《おちつ》きすました若い男で、馬も敏捷《びんしょう》な相好《そうごう》
前へ 次へ
全53ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング