ぎるかね。」
 「そんなことをとうさんに相談したって困るよ。とうさんは、お前、素人《しろうと》じゃないか。」
 その日は私はわざと素気《すげ》ない返事をした。これが平素なら、私は子供と一緒になって、なんとか言ってみるところだ。それほど実は私も画が好きだ。しかし私は自分の畠《はたけ》にもない素人評《しろうとひょう》が実際子供の励ましになるのかどうか、それにすら迷った。ともあれ、次郎の言うことには、たよろうとするあわれさがあった。
 次郎の作った画《え》を前に置いて、私は自分の内に深く突き入った。そこにわが子を見た。なんとなく次郎の求めているような素朴《そぼく》さは、私自身の求めているものでもある。最後からでも歩いて行こうとしているような、ゆっくりとおそい次郎の歩みは、私自身の踏もうとしている道でもある。三郎はまた三郎で、画面の上に物の奥行きなぞを無視し、明快に明快にと進んで行っているほうで、きのう自分の描《か》いたものをきょうは旧《ふる》いとするほどの変わり方だが、あの子のように新しいものを求めて熱狂するような心もまた私自身の内に潜んでいないでもない。父の矛盾は覿面《てきめん》に子に来た。兄弟であって、同時に競争者――それは二人《ふたり》の子供に取って避けがたいことのように見えた。なるべく思い思いの道を取らせたい。その意味から言っても、私は二人の子供を引き離したかった。
 「次郎ちゃん、おもしろい話があるんだが、お前はそれを聞いてくれるか。」
 そんなことから切り出して、私はそれまで言い出さずにいた田舎《いなか》行きの話を次郎の前に持ち出してみた。
 「半農半画家の生活もおもしろいじゃないか。」と、私は言った。「午前は自分の画《え》をかいて、午後から太郎さんの仕事を助けたってもいいじゃないか。田舎で教員しながら画《え》をかくなんて人もあるが、ほんとうに百姓しながらやるという画家は少ない。そこまで腰を据《す》えてかかってごらん、一家を成せるかもしれない。まあ、二三年は旅だと思って出かけて行ってみてはどうだね。」
 日ごろ田舎《いなか》の好きな次郎ででもなかったら、私もこんなことを勧めはしなかった。
 「できるだけとうさんも、お前を助けるよ。」と、また私は言った。「そのかわり、太郎さんと二人で働くんだぜ。」
 「僕もよく考えてみよう。こうして東京にぐずぐずしていたってもしかたがない。」
 と、次郎は沈思するように答えて、ややしばらく物も言わずに、私のそばを離れずにいた。

 四月にはいって、私は郷里のほうに太郎の新しい家を見に行く心じたくを始めていた。いよいよ次郎も私の勧めをいれ、都会を去ろうとする決心がついたので、この子を郷里へ送る前に、私は一足先に出かけて行って来たいと思った。留守中のことは次郎に預けて行きたいと思う心もあった。日ごろ家にばかり引きこもりがちの私が、こんな気分のいい日を迎えたことは、家のものをよろこばせた。
 「ちょっと三人で、じゃんけんしてみておくれ。」
 と、私は自分の部屋《へや》から声を掛けた。気候はまだ春の寒さを繰り返していたころなので、子供らは茶の間の火鉢《ひばち》の周囲に集まっていた。
 「オイ、じゃんけんだとよ。」
 何かよい事でも期待するように、次郎は弟や妹を催促した。火鉢の周囲には三人の笑い声が起こった。
 「だれだい、負けた人は。」
 「僕だ。」と答えるのは三郎だ。「じゃんけんというと、いつでも僕が貧乏くじだ。」
 「さあ、負けた人は、郵便箱を見て来て。」と、私が言った。「もう太郎さんからなんとか言って来てもいいころだ。」
 「なあんだ、郵便か。」
 と、三郎は頭をかきかき、古い時計のかかった柱から鍵《かぎ》をはずして路地《ろじ》の石段の上まで見に出かけた。
 郷里のほうからのたよりがそれほど待たれる時であった。この旅には私は末子を連れて行こうとしていたばかりでなく、青山の親戚《しんせき》が嫂《あによめ》に姪《めい》に姪の子供に三人までも同行したいという相談を受けていたので、いろいろ打ち合わせをして置く必要もあったからで。待ち受けた太郎からのはがきを受け取って見ると、四月の十五日ごろに来てくれるのがいちばん都合がいい、それより早過ぎてもおそ過ぎてもいけない、まだ壁の上塗《うわぬ》りもすっかりできていないし、月の末になるとまた農家はいそがしくなるからとしてあった。
 「次郎ちゃん、とうさんが行って太郎さんともよく相談して来るよ。それまでお前は東京に待っておいで。」
 「太郎さんのところからも賛成だと言って来ている。ほんとに僕がその気なら、一緒にやりたいと言って来ている。」
 「そうサ。お前が行けば太郎さんも心強かろうからナ。」
 私は次郎とこんな言葉をかわした。
 久しぶりで郷里を見に行く私は、みやげ物をあつめに銀座へんを歩き回って来るだけでも、額《ひたい》から汗の出る思いをした。暮れからずっと続けている薬を旅の鞄《かばん》に納めることも忘れてはならなかった。私は同伴する人たちのことを思い、ようやく回復したばかりのような自分の健康のことも気づかわれて、途中|下諏訪《しもすわ》の宿屋あたりで疲れを休めて行こうと考えた。やがて、四月の十三日という日が来た。いざ旅となれば、私も遠い外国を遍歴して来たことのある気軽な自分に帰った。古い鞄《かばん》も、古い洋服も、まだそのまま役に立った。連れて行く娘のしたくもできた。そこで出かけた。
 この旅には私はいろいろな望みを掛けて行った。長いしたくと親子の協力とからできたような新しい農家を見る事もその一つであった。七年の月日の間に数えるほどしか離れられてなかった今の住居《すまい》から離れ、あの恵那《えな》山の見えるような静かな田舎《いなか》に身を置いて、深いため息でも吐《つ》いて来たいと思う事もその一つであった。私のそばには、三十年ぶりで郷里を見に行くという年老いた嫂《あによめ》もいた。姪《めい》が連れていたのはまだ乳離《ちばな》れもしないほどの男の子であったが、すぐに末子に慣れて、汽車の中で抱かれたりその膝《ひざ》に乗ったりした。それほど私の娘も子供好きだ。その子は時々末子のそばを離れて、母のふところをさぐりに行った。
 「叔父《おじ》さん、ごめんなさいよ。」
 と言って、姪《めい》は幾人もの子供を生んだことのある乳房《ちぶさ》を小さなものにふくませながら話した。そんなにこの人は気の置けない道づれだ。
 「そう言えば、太郎さんの家でも、屋号をつけたよ。」と、私は姪に言ってみせた。「みんなで相談して田舎《いなか》風に『よもぎや』とつけた。それを『蓬屋』と書いたものか、『四方木屋』と書いたものかと言うんで、いろいろな説が出たよ。」
 「そりゃ、『蓬屋』と書くよりも、『四方木屋』と書いたほうがおもしろいでしょう。いかにも山家《やまが》らしくて。」
 こんな話も旅らしかった。
 甲府《こうふ》まで乗り、富士見《ふじみ》まで乗って行くうちに、私たちは山の上に残っている激しい冬を感じて来た。下諏訪《しもすわ》の宿へ行って日が暮れた時は、私は連れのために真綿《まわた》を取り寄せて着せ、またあくる日の旅を続けようと思うほど寒かった。――それを嫂《あによめ》にも着せ、姪にも着せ、末子にも着せて。
 中央線の落合川《おちあいがわ》駅まで出迎えた太郎は、村の人たちと一緒に、この私たちを待っていた。木曾路《きそじ》に残った冬も三留野《みどの》あたりまでで、それから西はすでに花のさかりであった。水力電気の工事でせき留められた木曾川の水が大きな渓《たに》の間に見えるようなところで、私はカルサン姿の太郎と一緒になることができた。そこまで行くと次郎たちの留守居する東京のほうの空も遠かった。
 「ようやく来た。」
 と、私はそれを太郎にも末子にも言ってみせた。
 年とった嫂《あによめ》だけは山駕籠《やまかご》、その他のものは皆徒歩で、それから一里ばかりある静かな山路《やまみち》を登った。路傍に咲く山つつじでも、菫《すみれ》でも、都会育ちの末子を楽しませた。登れば登るほど青く澄んだ山の空気が私たちの身に感じられて来た。旧《ふる》い街道の跡が一筋目につくところまで進んで行くと、そこはもう私の郷里の入り口だ。途中で私は森《もり》さんという人の出迎えに来てくれるのにあった。森さんは太郎より七八歳ほども年長な友だちで、太郎が四年の農事見習いから新築の家の工事まで、ほとんどいっさいの世話をしてくれたのもこの人だ。
 郷里に帰るものの習いで、私は村の人たちや子供たちの物見高い目を避けたかった。今だに古い駅路《うまやじ》のなごりを見せているような坂の上のほうからは、片側に続く家々の前に添うて、細い水の流れが走って来ている。勝手を知った私はある抜け道を取って、ちょうどその村の裏側へ出た。太郎は私のすぐあとから、すこしおくれて姪や末子もついて来た。私は太郎の耕しに行く畠《はたけ》がどっちの方角に当たるかを尋ねることすら楽しみに思いながら歩いた。私の行く先にあるものは幼い日の記憶をよび起こすようなものばかりだ。暗い竹藪《たけやぶ》のかげの細道について、左手に小高い石垣《いしがき》の下へ出ると、新しい二階建ての家のがっしりとした側面が私の目に映った。新しい壁も光って見えた。思わず私は太郎を顧みて、
 「太郎さん、お前の家かい。」
 「これが僕の家サ。」
 やがて私はその石垣《いしがき》を曲がって、太郎自身の筆で屋号を書いた農家風の入り口の押し戸の前に行って立った。
   四方木屋《よもぎや》。

 太郎には私は自身に作れるだけの田と、畑と、薪材《まきざい》を取りに行くために要《い》るだけの林と、それに家とをあてがった。自作農として出発させたい考えで、余分なものはいっさいあてがわない方針を執った。
 都会の借家ずまいに慣れた目で、この太郎の家を見ると、新規に造った炉ばたからしてめずらしく、表から裏口へ通り抜けられる農家風の土間もめずらしかった。奥もかなり広くて、青山の親戚《しんせき》を泊めるには充分であったが、おとなから子供まで入れて五人もの客が一時にそこへ着いた時は、いかにもまだ新世帯《しんじょたい》らしい思いをさせた。
 「きのうまで左官屋《さかんや》さんがはいっていた。庭なぞはまだちっとも手がつけてない。」
 と、太郎は私に言ってみせた。
 何もかも新規だ。まだ柱時計一つかかっていない炉ばたには、太郎の家で雇っているお霜《しも》婆《ばあ》さんのほかに、近くに住むお菊《きく》婆さんも手伝いに来てくれ、森さんの母《かあ》さんまで来てわが子の世話でもするように働いていてくれた。
 私は太郎と二人《ふたり》で部屋部屋《へやべや》を見て回るような時を見つけようとした。それが容易に見当たらなかった。
 「この家は気に入った。思ったよりいい家だ。よっぽど森さんにはお礼を言ってもいいね。」
 わずかにこんな話をしたかと思うと、また太郎はいそがしそうに私のそばから離れて行った。そこいらには、まだかわき切らない壁へよせて、私たちの荷物が取り散らしてある。末子は姪《めい》の子供を連れながら部屋部屋をあちこちとめずらしそうに歩き回っている。嫂《あによめ》も三十年ぶりでの帰省とあって、旧《ふる》なじみの人たちが出たりはいったりするだけでも、かなりごたごたした。
 人を避けて、私は眺望《ちょうぼう》のいい二階へ上がって見た。石を載せた板屋根、ところどころに咲きみだれた花の梢《こずえ》、その向こうには春深く霞《かす》んだ美濃《みの》の平野が遠く見渡される。天気のいい日には近江《おうみ》の伊吹山《いぶきやま》までかすかに見えるということを私は幼年のころに自分の父からよく聞かされたものだが、かつてその父の旧《ふる》い家から望んだ山々を今は自分の新しい家から望んだ。
 私はその二階へ上がって来た森さんとも一緒に、しばらく窓のそばに立って、久しぶりで自分を迎えてくれるような恵那《えな》山にもながめ入った。あそこに深い谷がある、あそこに
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