取った人たちの世界というものをのぞいて見たように思ったことを覚えているが、ちょうど今の私がそれと同じ姿勢で。
私はもう一度、自分の手を裏返しにして、鏡でも見るようにつくづくと見た。
「自分の手のひらはまだ紅《あか》い。」
と、ひとり思い直した。
午後のいい時を見て、私たちは茶の間の外にある縁側に集まった。そこには私の意匠した縁台が、縁側と同じ高さに、三尺ばかりも庭のほうへ造り足してあって、蘭《らん》、山査子《さんざし》などの植木|鉢《ばち》を片すみのほうに置けるだけのゆとりはある。石垣《いしがき》に近い縁側の突き当たりは、壁によせて末子の小さい風琴《オルガン》も置いてあるところで、その上には時々の用事なぞを書きつける黒板も掛けてある。そこは私たちが古い籐椅子《とういす》を置き、簡単な腰掛け椅子を置いて、互いに話を持ち寄ったり、庭をながめたりして来た場所だ。毎年夏の夕方には、私たちが茶の間のチャブ台を持ち出して、よく簡単な食事に集まったのもそこだ。
庭にあるおそ咲きの乙女椿《おとめつばき》の蕾《つぼみ》もようやくふくらんで来た。それが目につくようになって来た。三郎は縁台のはなに立って、庭の植木をながめながら、
「次郎ちゃん、ここの植木はどうなるんだい。」
この弟の言葉を聞くと、それまで妹と一緒に黒板の前に立って何かいたずら書きをしていた次郎が、白墨をそこに置いて三郎のいるほうへ行った。
「そりゃ、引っこ抜いて持って行ったって、かまうもんか――もとからここの庭にあった植木でさえなければ。」
「八つ手も大きくなりやがったなあ。」
「あれだって、とうさんが植えたんだよ。」
「知ってるよ。山茶花《さざんか》だって、薔薇《ばら》だって、そうだろう。あの乙女椿《おとめつばき》だって、そうだろう。」
気の早い子供らは、八つ手や山茶花を車に積んで今にも引っ越して行くような調子に話し合った。
「そんなにお前たちは無造作に考えているのか。」と、私はそこにある籐椅子《とういす》を引きよせて、話の仲間にはいった。「とうさんぐらいの年齢《とし》になってごらん、家というものはそうむやみに動かせるものでもないに。」
「どこかにいい家はないかなあ。」
と言い出すのは三郎だ。すると次郎は私と三郎の間に腰掛けて、
「そう、そう、あの青山の墓地の裏手のところが、まだすこし残ってる。この次ぎにはあそこを歩いて見るんだナ。」
「なにしろ、日あたりがよくて、部屋《へや》の都合がよくて、庭もあって、それで安い家と来るんだから、むずかしいや。」と、三郎は混ぜ返すように笑い出した。
「もっと大きい家ならある。」と次郎も私に言ってみせた。「五間か六間というちょうどいいところがない。これはと思うような家があっても、そういうところはみんな人が住んでいてネ。」
「とうさん、五間で四十円なんて、こんな安い家をさがそうたって無理だよ。」
「そりゃ、ここの家は例外サ。」と、私は言った。「まあ、ゆっくりさがすんだナ。」
「なにも追い立てをくってるわけじゃないんだから――ここにいたって、いられないことはないんだから。」
こう次郎も兄《にい》さんらしいところを見せた。
やがて自分らの移って行く日が来るとしたら、どんな知らない人たちがこの家に移り住むことか。そんなことがしきりに思われた。庭にある山茶花《さざんか》でも、つつじでも、なんど私が植え替えて手入れをしたものかしれない。暇さえあれば箒《ほうき》を手にして、自分の友だちのようにそれらの木を見に行ったり、落ち葉を掃いたりした。過ぐる七年の間のことは、そこの土にもここの石にもいろいろな痕跡《こんせき》を残していた。
いつのまにか末子は黒板の前を離れて、霜どけのしている庭へ降りて行った。
「次郎ちゃん、芍薬《しゃくやく》の芽が延びてよ。」
末子は庭にいながら呼んだ。
「蔦《つた》の芽も出て来たわ。」
と、また石垣《いしがき》の近くで末子の呼ぶ声も起こった。
遠い山地のほうにできかけている新しい家が、別にこの私たちに見えて来た。こんな落ちつかない気持ちで今の住居《すまい》に暮らしているうちにも、そのうわさが私たちの間に出ない日はなかった。私は郷里のほうに売り物に出た一軒の農家を太郎のために買い取ったからである。それを峠の上から村の中央にある私たちの旧家の跡に移し、前の年あたりから大工を入れ、新しい工事を始めさせていた。太郎もすでに四年の耕作の見習いを終わり、雇い入れた一人《ひとり》の婆《ばあ》やを相手にまだ工事中の新しい家のほうに移ったと知らせて来た。彼もどうやら若い農夫として立って行けそうに見えて来た。
いったい、私が太郎を田舎《いなか》に送ったのは、もっとあの子を強くしたいと考えたからで。土に親しむようになってからの太郎は、だんだん自分の思うような人になって行った。それでも私は遠く離れている子の上を案じ暮らして、自分が病気している間にも一日もあの山地のほうに働いている太郎のことを忘れなかった。郷里のほうから来るたよりはどれほどこの私を励ましたろう。私はまた次郎や三郎や末子と共に、どれほどそれを読むのを楽しみにしたろう。そういう私はいまだに都会の借家ずまいで、四畳半の書斎でも事は足りると思いながら、自分の子のために永住の家を建てようとすることは、われながら矛盾した行為だと考えたこともある。けれども、これから新規に百姓生活にはいって行こうとする子には、寝る場所、物食う炉ばた、土を耕す農具の類からして求めてあてがわねばならなかった。
私の四畳半に置く机の抽斗《ひきだし》の中には、太郎から来た手紙やはがきがしまってある。その中には、もう麦を蒔《ま》いたとしたのもある。工事中の家に移って障子を張り唐紙《からかみ》を入れしてみたら、まるで別の家のように見えて来たとしたのもある。これが自分の家かと思うと、なんだか恐ろしいようなうれしいような気がして来たとしたのもある。だれに気兼ねもなく、新しい木の香のする炉ばたにあぐらをかいて、飯をやっているところだとしたのもある。
ふとしたことから、私は手にしたある雑誌の中に、この遠く離れている子の心を見つけた。それには父を思う心が寄せてあって、いろいろなことがこまごまと書きつけてあった。四人の兄妹《きょうだい》の中での長男として、自分はいちばん長く父のそばにいて見たから、それだけ親しみを感ずる心も深いとしたところがあり、それからまた、父の勧農によって自分もその気になり、今では鍬《くわ》を手にして田園の自然を楽しむ身であるが、四年の月日もむなしく過ぎて行った、これからの自分は新しい家にいて新しい生活を始めねばならない、時には自分は土を相手に戦いながら父のことを思って涙ぐむことがあるとしたところもあり、その中にはまた、父もこの家を見ることを楽しみにして郷里の土を踏むような日もやがて来るだろう、寺の鐘は父の健康を祈るかのように、山に沈む夕日は何かの深い暗示を自分に投げ与えるように消えて行くとしてあったのを覚えている。
最近に、また私は太郎からのはがきを受け取っていた。それによって私はあの山地のほうにできかけている農家の工事が風呂場《ふろば》を造るほどはかどったことを知った。なんとなく鑿《のみ》や槌《つち》の音の聞こえて来るような気もした。こんなに私にも気分のいい日が続いて行くようであったら、おりを見て、あの新しい家を見に行きたいと思う心が動いた。
長いこと私は友だちも訪《たず》ねない。日がな一日|寂寞《せきばく》に閉ざされる思いをして部屋《へや》の黄色い壁も慰みの一つにながめ暮らすようなことは、私に取ってきょうに始まったことでもない。母親のない幼い子供らをひかえるようになってから、三年もたつうちに、私はすでに同じ思いに行き詰まってしまった。しかし、そのころの私はまだ四十二の男の厄年《やくどし》を迎えたばかりだった。重い病も、老年の孤独というものも知らなかった。このまますわってしまうのかと思うような、そんな恐ろしさはもとより知らなかった。「みんな、そうですよ。子供が大きくなる時分には、わがからだがきかなくなりますよ。」と、私に言ってみせたある婆《ばあ》さんもある。あんな言葉を思い出して見るのも堪《た》えがたかった。
「とうさん、どこへ行くの。」
ちょっと私が屋外《そと》へ出るにも、そう言って声を掛けるのが次郎の癖だ。植木坂の下あたりには、きまりでそのへんの門のわきに立ち話する次郎の旧《ふる》い遊び友だちを見いだす。ある若者は青山師範へ。ある若者は海軍兵学校へ。七年の月日は私の子供を変えたばかりでなく、子供の友だちをも変えた。
居住者として町をながめるのもその春かぎりだろうか、そんな心持ちで私は鼠坂《ねずみざか》のほうへと歩いた。毎年のように椿《つばき》の花をつける静かな坂道がそこにある。そこにはもう春がやって来ているようにも見える。
私の足はあまり遠くへ向かわなかった。病気以来、ことにそうなった。何か特別の用事でもないかぎり、私は樹木の多いこの町の界隈《かいわい》を歩き回るだけに満足した。そして、散歩の途中でも家のことが気にかかって来るのが私の癖のようになってしまった。「とうさん、僕たちが留守居するよ。」と、次郎なぞが言ってくれる日を迎えても、ただただ私の足は家の周囲を回りに回った。あらゆる嵐《あらし》から自分の子供を護《まも》ろうとした七年前と同じように。
「旦那《だんな》さん。もうお帰りですか。」
と言って、下女のお徳がこの私を玄関のところに迎えた。お徳の白い割烹着《かっぽうぎ》も、見慣れるうちにそうおかしくなくなった。
「次郎ちゃんは?」
「お二階で御勉強でしょう。」
それを聞いてから、私は両手に持てるだけ持っていた袋包みをどっかとお徳の前に置いた。
「きょうはみんなの三時にと思って、林檎《りんご》を買って来た。ついでに菓子も買って来た。」
「旦那さんのように、いろいろなものを買って提《さ》げていらっしゃるかたもない。」
「そう言えば、鼠坂《ねずみざか》の椿《つばき》が咲いていたよ。今にもうおれの家の庭へも春がやって来るよ。」
そんな話をして置いて、私は自分の部屋《へや》へ行った。
私の心はなんとなく静かでなかった。実は私は次郎の将来を考えたあげく、太郎に勧めたとは別の意味で郷里に帰ることを次郎にも勧めたいと思いついたからで。長いこと養って来た小鳥の巣から順に一羽ずつ放してやってもいいような、そういう日がすでに来ているようにも思えた。しかし私も、それを言い出してみるまでは落ちつかなかった。
ちょうど、三郎は研究所へ、末子は学校へ、二人《ふたり》とも出かけて行ってまだ帰らなかった時だった。次郎はもはや毎日の研究所通いでもあるまいというふうで、しばらく家にこもっていて描《か》き上げた一枚の油絵を手にしながら、それを私に見せに二階から降りて来た。いつでも次郎が私のところへ習作を持って来て見せるのは弟のいない時で、三郎がまた見せに来るのは兄のいない時だった。
「どうも光っていけない。」
と言いながら、その時次郎は私の四畳半の壁のそばにたてかけた画《え》を本棚《ほんだな》の前に置き替えて見せた。兄の描《か》いた妹の半身像だ。
「へえ、末ちゃんだね。」
と、私も言って、しばらく次郎と二人してその習作に見入っていた。
「あの三ちゃんが見たら、なんと言うだろう。」
その考えが苦しく私の胸へ来た。二人の兄弟《きょうだい》の子供が決して互いの画《え》を見せ合わないことを私はもうちゃんとよく知っていた。二人はこんな出発点のそもそもから全く別のものを持って生まれて来た画家の卵のようにも見えた。
次郎は画作に苦しみ疲れたような顔つきで、癖のように爪《つめ》をかみながら、
「どうも、糞《くそ》正直にばかりやってもいけないと思って来た。」
「お前のはあんまり物を見つめ過ぎるんだろう。」
「どうだろう、この手はすこし堅過
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