々の方面に渉って、徳富蘇峰氏の国民の友と相対した、一つの大きな勢力であった。北村君を先ず文壇に紹介したのは、この巌本善治氏であった。『厭世詩家と女性』その他のものを、北村君が発表し始めたのは女学雑誌であったし、ああいう様式を取って、自分を現わそうとしたという事も、つまりこの女学雑誌という舞台があったからだ。殊に雑誌が雑誌だったから、婦人に読ませるということを中心にして、題目を択んだものもあった。処女の純潔を論じたり、その他恋愛観なぞを書き現わしたものにも、一面婦人のために書いているような趣きのあるのはその故である。その頃女学雑誌には星野天知君もかなり深く関係していた。巌本氏は清教徒的の見地から、文学を考えているような人だったから、純文芸に向おうとするものは、意見の合わないような処が出来て来た。星野君の家は日本橋本町四丁目の角にあった砂糖問屋で、男三郎君というシッカリした弟があり、おゆうさんという妹もあり兄弟|挙《こぞ》って文学に趣味を持つという人達だったから、その星野君が女学雑誌から離れて、一つ吾々の手で遣ろうではないかという相談を持ち出して、それに平田|禿木《とくぼく》君が主なる相談
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