|対手《あいて》になり、北村君と私とも雑誌に関係する事になった。そんな風にして出来上ったのが、文学界の始まりだった。平田君の家は日本橋伊勢町にあって、星野君の家とも近く、男三郎君とは一緒に高等学校へ通って居られるという時代だった。吾々はよく、あの砂糖屋の奥にあった、茶室風の部屋に集って、其処《そこ》で一緒に茶を呑みながら、雑誌を編輯したり、それから文学を談じたりして時の経つのを忘れる位であった。戸川秋骨君、馬場孤蝶君は、私が明治学院時代の友達という関係から、自然と文学界の仲間入をされるようになった。こんな風にして、皆親しく往来するようになったのだが、兎に角文学界というものを起そうとしたのは、星野君兄弟と、平田禿木君とで、殊に男三郎君は、大学へ行って工科でも択ぼうという位の綿密な、落ち着いた人だったから、殆んど自分では表立って何も発表しなかったが、種々な面倒臭い雑用なんかを一人で引き受けて、随分あの雑誌のためには蔭になって力を尽した人であった。文学界の先ず受けた非難は、不健全という事であった。それに対しても吾々若いものは皆激しい意気込を持っていたから、北村君などは「どうも世間の奴等は不健
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