くもにわかに方向を転換することは、朝廷も徳川氏に対して御遠慮あるべきはずである。先帝にもこの事にはすこぶる叡慮を悩ませられたと言って、大原卿はその心配をひそかに松平春嶽にもらしたという。
当時、京都は兵乱のあとを承《う》けて、殺気もまだ全く消えうせない。ことに、神戸|堺《さかい》の暴動、およびその処刑の始末等はひどく攘夷の党派に影響を及ぼし、人心の激昂《げきこう》もはなはだしい。この際、公使謁見の接待を命ぜられた新政府の人たち、小松|帯刀《たてわき》、木戸準一郎、後藤象次郎《ごとうしょうじろう》、伊藤俊介、それに京都旅館の準備と接待とを命ぜられた中井|弘蔵《こうぞう》なぞは、どんな手配りをしてもその勤めを果たさねばならない。京都にある三大寺院は公使らの旅館にあてるために準備された。三藩の兵隊はまた、それぞれの寺院に分かれて宿泊する公使らを衛《まも》ることになった。尾州兵は智恩院《ちおんいん》。薩州兵は相国寺《しょうこくじ》。加州兵は南禅寺《なんぜんじ》。
外国使臣一行の異様な行装《こうそう》を見ようとして遠近から集まって来た老若男女の群れは京都の町々を埋《うず》めた。三国公使
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