とも前後して伏見街道から無事に京都の旅館に到着した翌々日だ。その前日は雨で、一行はいずれも騎馬、あるいは駕籠《かご》を用い、中井、伊藤らの官吏に伴われながら、新政府の大官貴顕と聞こえた三条、岩倉、鍋島《なべしま》、毛利、東久世の諸邸を回礼したと伝えらるることすら、大変な評判になっているころだ。
いよいよその日の午後には、新帝も南殿に出御《しゅつぎょ》して各国代表者の御挨拶《ごあいさつ》を受けさせられる、公使らの随行員にまで謁見を許される、その間には楽人の奏楽まである、このうわさが人の口から口へと伝わった。新政府の処置挙動に不満を抱《いだ》くものはもとより少なくない。こんな外国の侵入者がわが禁闕《きんけつ》の下《もと》に至るのは許しがたいことだとして、攘夷の決行されないのを慷慨《こうがい》するものもある。官吏ともあろうものが夷狄《いてき》の輩《ともがら》を引いて皇帝陛下の謁見を許すごときは、そもそも国体を汚すの罪人だというような言葉を書きつらね、係りの官吏および外国公使を誅戮《ちゅうりく》すべしなどとした壁書も見いだされる。腕をまくるもの、歯ぎしりをかむものは、激しい好奇心に燃えている
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