の亡《な》き舅《しゅうと》、吉左衛門なぞが他の宿役人を誘い合わせ、いずれも定紋付きの麻の※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《かみしも》を着用して、一通行あるごとに宿境《しゅくざかい》まで目上の人たちを迎えたり送ったりしたころの木曾路ではもとよりない。古い駅路の光景も変わった。あの諸大名が多数の従者を引きつれ、お抱《かか》えの医者までしたがえて、挾箱《はさみばこ》、日傘《ひがさ》、鉄砲、箪笥《たんす》、長持《ながもち》、その他の諸道具の行列で宿場宿場を埋《うず》めたような時は、もはや後方《うしろ》になった。まだそれでも明治二年のころあたりまでは、ぽつぽつ上京する大名や公卿《くげ》の通行を見、二十人から八十人までの縮小した供数でこの街道を通り過ぎて行ったが、それすら跡を絶つようになった。
「さあ。早くおいで。」
 とお民はあとから山の中の街道を踏んで来るお徳を促した。そして、彼女が兄の口ぶりを借りて言えば、「土屋総蔵時代とは、まるで善悪の対照を見せつけられる」筑摩県の官吏を相手にして、尾州藩の手を離れてからこのかた、今や木曾山
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