邸の使臣で情報を本国にもたらすもの、そんな人たちの通行が日夜に兵庫神戸辺の街道筋に続いていた。
二
新時代の幕はこんなふうに切って落とされた。兵庫神戸の新しい港を中心にして、開国の光景がそこにひらけて来た。それにはまず当時の容易ならぬ外国関係を知らねばならない。
アールコックはパアクスよりも前に英国公使として渡来した人であるが、このアールコックに言わせると、外国は戦争を好むものではない。土地をむさぼるものでもない、ただ戦端を開くように誘う場合が三つある。いやしくも条約を取り結びながらその信義を守らない場合、ゆえなく外人を殺傷する場合、みだりに外人を疑って交易を妨害する場合がそれであると。
不幸にも、先年東海道川崎駅に近い生麦《なまむぎ》村に起こったと同じような事件が、王政復古の日を迎えてまだ間もない神戸|三宮《さんのみや》に突発した。しかも、京都新政府においては徳川|慶喜《よしのぶ》征討令を発し、征討府を建て、熾仁親王《たるひとしんのう》をその大総督に任じ、勤王の諸侯に兵を率いて上京することを命ずるような社会の不安と混乱との中で。
慶応四年正月十一日のことだ。
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