し、万国共通の太陽暦に改めたころは、やがて明治六年の四月を迎えた。その時になると、馬籠《まごめ》本陣の吉左衛門なぞがもはやこの世にいないばかりでなく、同時代の旧友であれほどの頑健《がんけん》を誇っていた金兵衛まで七十四歳で亡《な》き人の数に入ったが、あの人たちに見せたらおそらく驚くであろうほどの木曾路《きそじ》の変わり方である。今は四民が平等と見なされ、権威の高いものに対して土下座《どげざ》する旧習も破られ、平民たりとも乗馬、苗字《みょうじ》までを差し許される世の中になって来た。みんな鼻息は荒い。中馬稼《ちゅうまかせ》ぎのものなぞはことにそれが荒く、牛馬の口にばかりついていない。どうかすると荷をつけて街道に続く牛馬の群れは通行をさまたげ、諸人の迷惑にすらなる。なんと言っても当時の街道筋はまだやかましい昔の気風を存していたから、馬士《まご》や牛追いの中には啣《くわ》え煙管《ぎせる》なぞで宿村内を歩行する手合いもあると言って、心得違いのものは取りただすよしの触れ書が回って来たほどだ。下から持ち上げる力の制《おさ》えがたさは、こんな些細《ささい》なことにもよくあらわれていた。これまで、実に非
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