行者もある。伊那からそのあとを追い慕って、せめて馬籠まではと言いながら見送って来た南条村の館松縫助《たてまつぬいすけ》のような人もある。
延胤は半蔵が師|鉄胤《かねたね》の子息で、故翁篤胤の孫に当たる。平田同門のものは日ごろ鉄胤のことを老先生と呼び、延胤を若先生と呼んでいる。思いがけなくもその人を見るよろこびに加えて、一行を家に迎へ入れ、自分の田舎《いなか》を見て行ってもらうことのできるというは、半蔵にとって夢のようであった。木曾は深い谿《たに》とばかり聞いていたのにこんな眺望《ちょうぼう》のひらけた峠の上もあるかという延胤を案内しながら、半蔵は西側の廊下へ出て、美濃《みの》から近江《おうみ》の方の空のかすんだ山々を客にさして見せた。その廊下の位置からは恵那山につづく幾つかの連峰全部を一目に見ることはできなかったが、そこには万葉の古い歌にある御坂《みさか》も隠れているという半蔵の話が客をよろこばせた。彼は上段の間へ人々を案内して、その奥まった座敷で、延胤が今京都をさして帰る途中にあることから、かねて門人|片桐春一《かたぎりしゅんいち》を中心に山吹社中の発起になった条山《じょうざん》神
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