分まで目がくらむような気がしますよ。」
お民は子供に食わせることを忘れていなかった。彼女はこんな話を打ち切って、また囲炉裏ばたの方へまめまめしく働きに行った。
山家はようやく長い冬ごもりの状態から抜け切ろうとするころである。恵那山《えなさん》の谿谷《けいこく》の方に起こるさかんな雪崩《なだれ》は半蔵が家あたりの位置から望まれないまでも、雪どけの水の音は軒をつたって、毎日のようにわびしく単調に聞こえている。いろいろなことを半蔵に思い出させるのも、石を載せた板屋根から流れ落ちるそのしずくの音だ。眠りがたい一夜をお民のそばに送った後、彼はその翌朝に会所の方を見回りに行った。何事も耳には入れずにある父のことも心にかかりながら、会所の入り口の戸をあけかけていると、ちょうどそこへやって来る伊之助と一緒になった。
「いよいよ会所もおなごりですね。」
そう語り合う二人は、明け渡した城あとでも歩き回るように、がらんとした問屋場の方をのぞきに行った。会所の方の店座敷の戸をも繰って見た。そこの黄色な壁、ここの煤《すす》けた襖《ふすま》、何一つその空虚な部屋で目につくものは、高い権威をもって絶対の屈従を
前へ
次へ
全419ページ中351ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング