路《おうしゅうじ》に進出し、六十里|越《ごえ》、八十里越のけわしい峠を越えて会津口にまで達したという従軍の諸隊は、九月二十二日の会津落城と共に解散命令が下ったとの話を残し、この戦争の激しかったことをも伝えて置いて、すでに幾組となく馬籠峠の上を西へと通り過ぎて行った。
この凱旋兵《がいせんへい》の通行は十一月の十日ごろまで続いた。時には五百人からの一組が三留野《みどの》方面から着いて、どっと一時に昼時分の馬籠の宿場にあふれた。ようやくそれらの混雑も沈まって行ったころには、かねて馬籠から戦地の方へ送り出した荒町の禰宜《ねぎ》松下千里も、遠く奥州路から無事に帰って来るとの知らせがある。その日には馬籠組頭としての笹屋《ささや》庄助も峠の上まで出迎えに行った。
「お富、早いものじゃないか。荒町の禰宜さまがもう帰って来るそうだよ。」
その言葉を残して置いて、伊之助は伏見屋の門口を出た。彼は従軍の禰宜を待ち受ける心からも、また会所勤めに通って行った。
連日の奔走にくたぶれて、会所に集まるものはいずれも膝《ひざ》をくずしながら、凱旋兵士のうわさや会津戦争の話で持ちきった。その日の昼過ぎになっても
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