松下千里は見えそうもないので、家事にかこつけて疲れを休めに帰って行く宿役人もある。例の会所の店座敷にはひとりで気をもむ伊之助だけが残った。本陣付属の問屋場もにわかに閑散になって、到着荷物の順を争うがやがやとした声も沈まって行った時だ。隣宿|妻籠《つまご》からの二人の客がそこへ見えた。妻籠本陣の寿平次と、脇《わき》本陣の得右衛門《とくえもん》とだ。
「やれ、やれ、これでわたしたちも安心した。吉左衛門さんの病気もあの調子で行けば、まず峠を越したようなものです。」
そういう妻籠の連中の声を聞くと、伊之助はその店座敷の一隅《いちぐう》に客の席をつくるほど元気づいた。同じ宿駅の勤めに従いながら、寿平次らがすこしも疲れたらしい様子のないには、これにも彼は感心した。連日の疲労を休める暇もなく、本陣への病気見舞いに来て、今その帰りがけであるということも、彼をよろこばせた。
「まあ、座蒲団《ざぶとん》でも敷いてください。ここは会所で何もおかまいはできませんが、お茶でも一つ飲んで行ってください。」と言いながら、伊之助は手をたたいて、会所の小使いを呼んだ。熱い茶の用意を命じて置いて、吉左衛門のうわさに移っ
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