の健康に代えたいと言ってそれを祷《いの》るために御嶽参籠《おんたけさんろう》を思い立って行ったことから、今また不眠不休の看護、もう三晩も四晩も眠らないという話まで――彼伊之助には、心に驚かれることばかりであった。
「どうして半蔵さんはああだろう。」
本陣から上隣りの石垣《いしがき》の上に立つ造り酒屋の堅牢《けんろう》な住居《すまい》が、この伊之助の帰って行くのを待っていた。西は厚い白壁である。東南は街道に面したがっしりした格子である。暗い時代の嵐《あらし》から彼が逃げ込むようにするところも、その自分の家であった。
伏見屋では表格子の内を仕切って、一方を店座敷に、一方の入り口に近いところを板敷きにしてある。裏の酒蔵の方から番頭の運んで来る酒はその板敷きのところにたくわえてある。買いに来るものがあれば、桝《ます》ではかって売る。新酒揚げの日はすでに過ぎて、今は伏見屋でも書き入れの時を迎えていた。売り出した新酒の香気《かおり》は、伊之助が宿役人の袴《はかま》をぬいで前掛けにしめかえるところまで通って来ていた。
「お父《とっ》さんは。」
伊之助はそれを妻のお富にたずねた。隠居金兵衛も
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