では見に行かなかった。極度に老衰した吉左衛門の容体、中風患者のこととて冷水で頭部を冷やしたり温石で足部を温《あたた》めたりするほかに思わしい薬もないという清助の話を聞くだけにとどめて、やがて彼は本陣の表門を出た。
 伊之助ももはや三十五歳の男ざかりになる。半蔵より三つ年下である。そんなに年齢《とし》の近いことが半蔵に対して特別の親しみを覚えさせるばかりでなく、きげんの取りにくい養父金兵衛に仕えて来た彼は半蔵が継母のおまんに仕えて来たことにもひそかな思いやりを寄せていた。二人《ふたり》はかつて吉左衛門らの退役と隠居がきき届けられた日に、同じく木曾福島の代官所からの剪紙《きりがみ》(召喚状)を受け、一方は本陣問屋庄屋三役青山吉左衛門|忰《せがれ》、一方は年寄兼問屋後見役小竹金兵衛忰として、付き添い二人、宿方|惣代《そうだい》二人同道の上で、跡役《あとやく》を命ぜられて来たあれ以来の間柄である。
 しかし、伊之助もいつまで旧《もと》の伊之助ではない。次第に彼は隣人と自分との相違を感ずるような人である。いかに父親思いの半蔵のこととは言え、あの吉左衛門発病の当時、たとい自己の寿命を一年縮めても父
前へ 次へ
全419ページ中295ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング