に寄っていただいても、なんにもございませんよ。」と勝重の母親は半蔵に言って、供の男の方をも見て、
「平兵衛さ、お前もここで御相伴《ごしょうばん》しよや。」
「いえ、おれは台所の方へ行って頂《いただ》く。」
 と言いながら、平兵衛は自分の前に置かれた膳を持って、台所の方へと引きさがった。
 勝重は若々しい目つきをして、半蔵と父親の顔を見比べ、箸《はし》を取りあげながらも、話した。「この尾州領に一揆が起こったなんて今までわたしは聞いたこともない。」
「それがさ。半蔵さんも御承知のとおりに、尾州藩じゃよく尽くしましたからね。」と儀十郎が言って見せる。
「お父《とっ》さん――問屋や名主を目の敵《かたき》にして、一揆の起こるということがあるんでしょうか。」と勝重が言った。
「そりゃ、あるさ。他の土地へ行ってごらん、ずいぶんいろいろな問屋がある。百姓は草履《ぞうり》を脱がなければそこの家の前を通れなかったような問屋もある。草履も脱がないようなやつは、お目ざわりだ、そういうことを言ったものだ。いばったものさね。ところが、お前、この御一新だろう。世の中が変わるとすぐ打ちこわしに出かけて行った百姓仲間が
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