が急に四百二十四文もする。会津の方の戦争に、こんな物価の暴騰に、おまけに天候の不順だ。いろいろと起こって来た事情は旅をも困難にした。
二
京都から大湫《おおくて》まで、半蔵らはすでに四十五里ほどの道を歩いた。大湫は伊勢参宮または名古屋への別れ道に当たる鄙《ひな》びた宿場で、その小駅から東は美濃《みの》らしい盆地へと降りて行くばかりだ。三里半の十三峠を越せば大井の宿へ出られる。大井から中津川までは二里半しかない。
百三十日あまり前に東山道軍の先鋒隊《せんぽうたい》や総督御本陣なぞが錦《にしき》の御旗《みはた》を奉じて動いて行ったのも、その道だ。畠《はたけ》の麦は熟し、田植えもすでに終わりかけるころで、行く先の立場《たてば》は青葉に包まれ、草も木も共に六月の生気を呼吸していた。長雨あげくの道中となれば、めっきり強い日があたって来て、半蔵も平兵衛も路傍の桃の葉や柿《かき》の葉のかげで汗をふくほど暑い。
「でも、半蔵さま、歩きましたなあ。なんだかおれはもうよっぽど長いこと家を留守にしたような気がする。」
「馬籠《まごめ》の方でも、みんなどうしているかさ。」
「なんだぞなし
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