張藩《おわりはん》の山奉行が村民らの背伐《せぎ》りを監視するため、奥筋から順に村々を回って来たに過ぎなかった。
 この宿場では、つい二日ほど前に、中津川泊まりで西から進んで来る二百人ばかりの尾州兵の太鼓の音を聞いた。およそ三組から成る同勢の高旗をも望んだ。それらの一隊が、越後《えちご》方面を警戒する必要ありとして、まず松本辺をさして通り過ぎて行った後には、なんとなくゆききの人の足音も落ち着かない。飛脚荷物を持って来るものの名古屋|便《だよ》りまでが気にかかって、半蔵はしばらくその門前に立ってながめた。午後の日の光は街道に満ちている時で、諸勘定を兼ねて隣の国から登って来る中津の客、呉服物の大きな風呂敷《ふろしき》を背負った旅商人《たびあきんど》、その他、宿から宿への本馬《ほんま》何ほど、軽尻《からじり》何ほど、人足何ほどと言った当時の道中記を懐《ふところ》にした諸国の旅行者が、彼の前を往《い》ったり来たりしていた。


 まず街道にも異状がない。そのことに、半蔵はやや心を安んじて、やがて自分の屋敷内にある母屋《もや》と新屋の間の細道づたいに、裏の隠居所の方へ行った。階下を味噌《みそ》や漬
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