じかた》を守る心に立ち帰らせるのも、一つはこの年老いた父である。
昼過ぎから、ちょっと裏の隠居所をのぞきに行こうとする前に、半蔵は本陣の母屋《もや》から表門の外に走り出て見た。
「村のものは。」
だれに言うともなく、彼はそれを言って見た。旧幕府時代の高札でこれまでの分は一切取り除《の》けられ、新しい時代の来たことを辺鄙《へんぴ》な地方にまで告げるような太政官《だじょうかん》の定三札《じょうさんさつ》は、宿場の中央に改めて掲示されてある。彼は自分の家の門前の位置から、その高札場のあるあたりを坂になった町の上の方に望むこともでき、住み慣れた街道の両側に並ぶ石を載せた板屋根を下の方に見おろすこともできる。
こんな山里にまで及んで来る時局の影響も争われなかった。毎年桃から山桜へと急ぐよい季節を迎えるころには、にわかに人の往来も多く、木曾福島からの役人衆もきまりで街道を上って来るが、その年の春にかぎってまだ宿場|継立《つぎた》てのことなぞの世話を焼きに来る役人衆の影もない。東山道軍通過以来の山村氏の代官所は測りがたい沈黙を守って、木曾谷に声を潜めた原生林そのままの沈まり方である。わずかに尾
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