ところは、本陣の玄関の前に広い板敷きとなっている式台の片すみであった。表庭の早い椿《つばき》の蕾《つぼみ》もほころびかけているころで、そのあたりにつながれている立派な青毛の馬が見える。総督へ献上の駒《こま》とあって、伝吉、彦助と名乗る両名の厩仲間《うまやちゅうげん》のものがお口取りに選ばれ、福島からお供を仰せつけられて来たとのこと。試みに吉左衛門はその駒の年齢を尋ねたら、伝吉らは六歳と答えていた。
「お父《とっ》さん。」
と声をかけて、奥の方へ挨拶《あいさつ》に出ることを勧めに来たのは半蔵だ。
「いや、おれはここで失礼するよ。」
と吉左衛門は言って、その駒の雄々《おお》しい鬣《たてがみ》も、大きな目も、取りつく蝿《はえ》をうるさそうにする尻尾《しっぽ》までも、すべてこの世の見納めかとばかり、なおもよく見ようとしていた。
だれもがそのお馬をほめた。だれもがまた、中津川の方に山村氏の御隠居を待ち受けるものの何であるかを見定めることもできなかった。やがて奥から玄関先へ来て、供の衆を呼ぶ清助の大きな声もする。それは乗り物を玄関先につけよとの掛け声である。早、お立ちの合図である。その時、吉
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