から離れて行った。
例の裏二階で、吉左衛門はおまんを呼んだ。衣服なぞを取り出させ、そこそこに母屋《もや》の方へ行くしたくをはじめた。
「肩衣《かたぎぬ》、肩衣。」
とも呼んだ。
そういう吉左衛門はもはやめったに母屋の方へも行かず、村の衆にもあわず、先代の隠居半六が忌日のほかには墓参りの道も踏まない人である。めずらしくもこの吉左衛門が代を跡目相続の半蔵に譲る前の庄屋に帰って、青山家の定紋のついた麻※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《あさがみしも》に着かえた。
「おまん、おれは隠居の身だから、わざわざ旦那様の前へ御挨拶《ごあいさつ》には出まい。何事も半蔵に任せたい。お馬を拝見させていただけば、それだけでたくさん。」
こう言いながら、彼はおまんと一緒に裏二階を降りた。下男の佐吉が手造りにした草履《ぞうり》をはき、右の手に杖《つえ》をついて、おまんに助けられながら本陣の裏庭づたいに母屋への小道を踏んだ。実に彼はゆっくりゆっくりと歩いた。わずかの石段を登っても、その上で休んで、また歩いた。
吉左衛門がお馬を見ようとして出た
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