左衛門は式台の片すみのところに、その板敷きの上にかしこまっていて、父子代々奉仕して来た旧《ふる》い主人公のつつがない顔を見ることができた。
「旦那様。吉左衛門でございます。お馬拝見に出ましてございます。」
「おゝ、その方も達者《たっしゃ》か。」
 御隠居が彼の方を顧みての挨拶だ。
 吉左衛門は目にいっぱい涙をためながら、長いことそこに立ち尽くした。御隠居を乗せた駕籠を見送り、門の外へ引き出されて行くお馬を見送り、中津川行きの供の衆を見送った。半蔵がその一行を家の外まで送りに出て、やがて引き返して来たころになっても、まだ父は式台の上がり段のところに腰掛けながら、街道の空をながめていた。
「お父《とっ》さん、本陣のつとめもつくづくつらいと思って来ましたよ。」
「それを言うな。福島の御家中がどうあろうと、あの御隠居さまには御隠居さまのお考えがあって、わざわざお出かけになったと見えるわい。」


 東山道軍御本陣の執事から出た順路の日取りによると、二月二十三日は美濃の鵜沼《うぬま》宿お休み、太田宿お泊まりとある。その日、先鋒《せんぽう》はすでに中津川に到着するはずで、木曾福島から行った山村氏の
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