来ている馬籠村の組頭《くみがしら》庄助《しょうすけ》もいる。庄助も福島からの彼の帰りのおそいのを案じていた一人《ひとり》なのだ。その晩、彼は下男の佐吉が焚《た》きつけてくれた風呂桶《ふろおけ》の湯にからだを温《あたた》め、客の応接はお民に任せて置いて、店座敷の方へ行った。白木《しらき》の桐《きり》の机から、その上に掛けてある赤い毛氈《もうせん》、古い硯《すずり》までが待っているような、その自分の居間の畳の上に、彼は長々と足腰を延ばした。
 子供らがのぞきに来た。いつも早寝の宗太も、その晩は眠らないで、姉と一緒にそこへ顔を出した。背丈《せたけ》は伸びても顔はまだ子供子供した宗太にくらべると、いつのまにかお粂の方は姉娘らしくなっている。素朴《そぼく》で、やや紅味《あかみ》を帯びた枝の素生《すば》えに堅くつけた梅の花のつぼみこそはこの少女のものだ。
「あゝあゝ、きょうはお父《とっ》さんもくたぶれたぞ。宗太、ここへ来て、足でも踏んでくれ。」
 半蔵がそれを言って、畳の上へ腹ばいになって見せると、宗太はよろこんだ。子供ながらに、宗太がからだの重みには、半蔵の足の裏から数日のはげしい疲労を追い出す
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