世であらせられたら、慶喜公に対しても、会津や桑名に対しても、こんな御処置はあらせられまいに……」
今一度改めて出頭せよ、翌朝を待ってなにぶんの沙汰《さた》があるであろう、その役人の声を聞いたあとで、半蔵は役所の門を出た。馬籠から供をして来た峠村の組頭《くみがしら》、先代平助の跡継ぎにあたる平兵衛《へいべえ》がそこに彼を待ち受けていた。
「半蔵さま。」
「おゝ、お前はそこに待っていてくれたかい。」
「そうよなし。おれも気が気でないで、さっきからこの御門の外に立ち尽くした。」
二人《ふたり》はこんな言葉をかわし、雪の道を踏んで、大手橋から旅籠屋《はたごや》のある町の方へ歩いた。
木曾福島も、もはや天保文久年度の木曾福島ではない。創立のはじめに渡辺方壺《わたなべほうこ》を賓師に、後には武居用拙《たけいようせつ》を学頭に、菁莪館《せいがかん》の学問を誇ったころの平和な町ではない。剣術師範役|遠藤《えんどう》五平太の武技を見ようとして、毎年馬市を機会に諸流の剣客の集まって来たころの町でもない。まして、木曾から出た国家老《くにがろう》として、名君の聞こえの高い山村|蘇門《そもん》(良由)
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