集した原生林と迫った山とにとりかこまれた対岸の傾斜をなした位置に、その役所がある。そこは三棟《みむね》の高い鱗葺《こけらぶ》きの屋根の見える山村氏の代官屋敷を中心にして、大小三、四十の武家屋敷より成る一区域のうちである。
役所のなかも広い。木曾谷一切の支配をつかさどるその役所には、すべて用事があって出頭するものの待ち合わすべき部屋《へや》がある。馬籠から呼び出されて行った半蔵はそこでかなり長く待たされた。これまで彼も木曾十一宿の本陣問屋の一人《ひとり》として、または木曾谷三十三か村の庄屋の一人として、何度福島の地を踏み、大手門をくぐり、大手橋を渡り、その役所へ出頭したかしれない。しかし、それは普通の場合である。意味ありげな差紙《さしがみ》なぞを受けないで済む場合である。今度はそうはいかなかった。
やがて、足軽《あしがる》らしい人の物慣れた調子で、
「馬籠の本陣も見えております。」
という声もする。間もなく半蔵は役人衆や下役などの前に呼び出された。その中に控えているのが、当時佐幕論で福島の家中を動かしている用人の一人だ。おもなる取り調べ役だ。
その日の要事は、とかくのうわさを諸藩
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