れるほどの討幕の火ぶたを切ったのも、またこの相良惣三および同志のものであったのだ。
意外にも、この一行の行動を非難する回状が、東山道総督執事から沿道諸藩の重職にあてて送られた。それには、ちかごろ堂上の滋野井《しげのい》殿や綾小路《あやのこうじ》殿が人数を召し連れ、東国|御下向《ごげこう》のために京都を脱走せられたとのもっぱらな風評であるが、右は勅命をもってお差し向けになったものではない、全く無頼《ぶらい》の徒が幼稚の公達《きんだち》を欺いて誘い出した所業と察せられると言ってある。綾小路殿らはすでに途中から御帰京になった、その家来などと唱え、追い追い東下するものがあるように聞こえるが、右は決して東山道軍の先駆でないと言ってある。中には、通行の途次金穀をむさぼり、人馬賃銭不払いのものも少なからぬ趣であるが、右は名を官軍にかりるものの所業であって、いかようの狼藉《ろうぜき》があるやも測りがたいから、諸藩いずれもこの旨《むね》をとくと心得て、右等の徒に欺かれないようにと言ってある。今後、岩倉殿の家来などと偽り、右ようの所業に及ぶものがあるなら、いささかも用捨なくとらえ置いて、総督御下向の上で
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