に譜代大名のだれを置き、どこに代官のだれを置くというような、その要所要所の手配りは実に旧幕府の用心深さを語っていたからで。彦根《ひこね》の井伊氏《いいし》、大垣《おおがき》の戸田氏、岩村の松平《まつだいら》氏、苗木《なえぎ》の遠山氏、木曾福島の山村氏、それに高島の諏訪《すわ》氏――数えて来ると、それらの大名や代官が黙ってみていなかったら、なかなか二門の大砲と、百二十余人の同勢で、素通りのできる道ではなかったからで。
この一行はおもに相良惣三《さがらそうぞう》に率いられ、追分に達したその部下のものは同志金原忠蔵に率いられていた。過ぐる慶応三年に、西郷吉之助が関東方面に勤王の士を募った時、同志を率いてその募りに応じたのも、この相良惣三であったのだ。あの関西方がまだ討幕の口実を持たなかったおりに、進んで挑戦的《ちょうせんてき》の態度に出、あらゆる手段を用いて江戸市街の攪乱《こうらん》を試み、当時江戸警衛の任にあった庄内藩《しょうないはん》との衝突となったのも、三田《みた》にある薩摩屋敷の焼き打ちとなったのも皆その結果であって、西の方に起こって来た伏見鳥羽の戦いも実はそれを導火線とすると言わ
前へ
次へ
全419ページ中134ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング