かつて問屋場の台の上から無法な侍を突き落としたほどの九郎兵衛がそこへ来て割り込むと、その力の人並みすぐれた大きな体格を見ただけでも、客はいつのまにか木刀を引き込ました。
「半蔵さん、御本陣にはお客があるんでしょう。ここはわたしにお任せなさい。そうなさい。」
この九郎兵衛の声を聞いて、半蔵は母屋《もや》の方へ引き返して行ったが、客から吹きかけられた酒の臭気の感じは容易に彼から離れなかった。しばらく彼は門内の庭の一隅《いちぐう》にある椿《つばき》の若木のそばに立ちつくした。
その足で半蔵は店座敷の方へ引き返して行って見た。自分の机の上に置いた本なぞをあけて見ている寿平次をそこに見いだした。
「半蔵さん、何かあったんですか。」
「なに、なんでもないんですよ。」
「だれか問屋場であばれでもしたんですか。」
「いえ、人足の出し方がおそいと言うんでしょう。聞き分けのない武家衆と来たら、問屋泣かせです。」
「この節はなんでも力ずくで行こうとする。力で勝とうとするような世の中になって来た。」
「寿平次さん、吾家《うち》にいる勝重さんが何を言い出すかと思ったら、徳川の代も末になりましたね、ですと
前へ
次へ
全434ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング