立ったままで、敷居の上と下とで言葉をかわしていた。吉左衛門のつもりでは、退職後の問屋の帳面にも一応は目を通し、半蔵の勤めぶりに安心の行くかどうかを確かめて、青山親子が職業に怠りのあるとは言われたくないためであった。でも、彼はすぐにそんなことを言い出しかねて、栄吉の方から言い出すいろいろな問屋場の近況に耳を傾けていた。
「大旦那《おおだんな》、店座敷(ここは宿役人の詰め所をさす)の方でお茶を一つお上がり。まだ役人衆はどなたも見えていませんから。」
と小使いの男が言う。吉左衛門はそれをきッかけに、砂利《じゃり》で堅めた土間を通って、宿役人の詰め所の上がり端《はな》の方へ行って腰掛けた。そこは会所と呼んでいるところで、伏見屋、桝田屋《ますだや》、蓬莱屋《ほうらいや》、梅屋とこの四人の年寄役のほかに、今一軒の問屋|九郎兵衛《くろべえ》なぞが事あるごとに相談に集まる場所だ。吉左衛門はその上がり端のところに杖《つえ》を置いて、腰掛けたままで茶を飲んだ。それから甥《おい》の方へ声をかけた。
「栄吉、問屋場の帳面をここへ見せてくれないか。ちょっとおれは調べたいことがある。」
その時、栄吉は助郷《す
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