それを聞書《ききがき》にして伏見屋の伊之助のところへ送ってよこした。この一揆《いっき》は「禁裏百姓」と号し、前侍従中山忠光を大将に仰ぎ、日輪に雲を配した赤地の旗を押し立て、別に一番から百番までの旗を用意して、初めは千余人の人数であったが、追い追いと同勢を増し、長州、肥後、有馬《ありま》の加勢もあったということである。公儀の陣屋はつぶされ、大和《やまと》河内《かわち》は大騒動で、やがて紀州へ向かうような話もあり、大坂へ向かうやも知れないとまで一時はうわさされたほどである。ともかくも、この討幕運動は失敗に終わった。天《てん》の川《かわ》というところでの大敗、藤本鉄石《ふじもとてっせき》の戦死、それにつづいて天誅組《てんちゅうぐみ》の残党が四方への離散となった。
九月の二十七日には、木曾谷中宿村の役人が福島山村氏の屋敷へ呼び出された。その屋敷の御鎗下《おやりした》で、年寄と用達《ようたし》と用人《ようにん》との三役も立ち合いのところで、山村氏から書付を渡され、それを書記から読み聞かせられたというものを持って、伏見屋伊之助と問屋九郎兵衛の二人《ふたり》が福島から引き取って来た。
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