関する著述なぞも置いてある。
 吉左衛門はひとり言って見た。
「これだ。相変わらず半蔵はこういう方に凝っていると見えるなあ。」
 まだ朝のうちのことで、毎日手伝いに通《かよ》って来る清助も顔を見せない。吉左衛門はその足で母屋《もや》の入り口から表庭を通って、門の外に出て見た。早く馬籠を立つ上り下りの旅人以外には、街道を通る人もまだそれほど多くない。宿場の活動は道路を清潔にすることから始められるような時であった。
 将軍の上洛《じょうらく》以来、この街道を通行する諸大名諸公役なぞの警衛もにわかに厳重になった。その年の日光例幣使は高百五十石の公卿《くげ》であるが、八|挺《ちょう》の鉄砲を先に立て、二頭の騎馬に護《まも》られて、おりからの強雨の中を発《た》って行ったといううわさを残した。公儀より一頭、水戸藩《みとはん》より一頭のお付き添いだなどと評判はとりどりであったが、あとになってそれが尾州藩よりの警衛とわかった。皇室と徳川|霊廟《れいびょう》とを結びつけるはずの使者が、公武合体の役には立たないで、あべこべにそれをぶち壊《こわ》して歩くのもあの一行だった。さすがに憎まれ者の例幣使のことで、
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