しての半蔵の家の玄関に旅の草鞋《わらじ》を脱いだその日から、そして本陣の一室で法衣|装束《しょうぞく》に着かえて久しぶりの寺の山門をくぐったその日から、十三年も達磨《だるま》の画像の前にすわりつづけて来たような人の自ら鐘楼に登って撞《つ》き鳴らす大鐘だ。
 まだ朝の眠りをむさぼっている妻のそばで、半蔵はその音に耳を澄ました。谷から谷を伝い、畠《はたけ》から畠をはうそのひびきは、和尚が僧|智現《ちげん》の名も松雲と改めて万福寺の住職となった安政元年の昔も、今も、同じ静かさと、同じ沈着《おちつき》とで、清く澄んだ響きを伝えて来ている。
 一音。また一音。半蔵の耳はその音の意味を追った。あのにぎやかな「ええじゃないか」の卑俗と滑稽《こっけい》とに比べたら、まったくこれは行ないすました閑寂《かんじゃく》の別天地から来る、遠い世界の音だ。それにしても、この驚くべき社会の変革の日にあたって、日々の雲でも変わるか、あるいは陰陽の移りかわるかぐらいにしか、心を動かされない人の修行から、その鐘は響き出して来ている。その異教の沈着《おちつき》はいっそ半蔵を驚かした。多くの憂国の士が生命《いのち》をかけても
前へ 次へ
全434ページ中425ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング