役人でも単騎独歩で苦しくないとされるようになったのは、皆この慶喜の時代に始まる。フランス伝習の陸軍所が建設せられ、御軍艦操練所は海軍所と改められ、英仏学伝習所が横浜に開かれたのも、その結果だ。小普請組支配の廃止、火付け盗賊改めの廃止、中奥御小姓《なかおくおこしょう》同御番の廃止、御持筒頭《おもちづつがしら》の廃止、御先手《おさきて》御留守番と西丸御裏御門番と頭火消役四組との廃止なぞも、またその結果だ。すべて古式古風な散官遊職は続々廃止されて、西洋陸軍の制度に旗本の士を改造する方針が立てられた。もはや旗本の士は殿様の威儀を捨てて単騎独歩する元亀《げんき》天正《てんしょう》の昔に帰った。とにもかくにもいわゆる旗下《はたもと》八万騎を挙《あ》げて洋式の陸軍隊を編成し、応募の新兵はフランス人の教官に託し、従来|羽織袴《はおりはかま》に刀を帯びて席上にすわっていたものに筒袖《つつそで》だん袋を着せ舶来の銃を携えさせて江戸城の内外を巡邏《じゅんら》せしめるようになったというだけでも、いかに新将軍親政の手始めが旧制の一大改革にあったかがわかる。
 この方針は地方にまで及んで行った。旧《ふる》い伝馬制
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