て仰ぎ見ねばならなかったのも、一橋からはいって徳川家を相続した慶喜である。しかし、この新将軍が貴冑《きちゅう》の族《やから》ながらも多年内外の政局に当たり、見聞も広く、経験も積んでいて、決して尋常の貴公子でないことを忘れてはならない。


 慶喜の新生涯は幾多の改革に着手することから始められた。これは文久改革以来の慶喜の素志にもより、一つは長州征伐の大失敗が幕府の覚醒《かくせい》を促したにもよる。そういう幕府は無謀な大軍を西へ進める当時に、尾州の御隠居や越前藩主なぞの諫争《かんそう》をきき入れないでおいて、今となって目をさましてもおそかった。しかしおそくも目をさましたのは、さまさないには勝《まさ》っている。この戦争によって幕府をはじめ諸藩の軍制および諸制度はにわかに改革を促された。従来、数十人ないし百人以上の家臣従僕が列をなして従った大名|旗下《はたもと》の供数も、万石以上ですら従者五人、布衣《ほい》以下は侍一人に草履取り一人とまで減少された。二百年間の繁文縟礼《はんぶんじょくれい》[#「縟礼」は底本では「褥礼」]が驚くべき勢いで廃止され、上下共に競って西洋簡易の風《ふう》に移り、重い
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