、その名のみひろごりて、遂《つい》に世に行《おこな》はるることなくて、聖人の道はたゞいたづらに、人をそしる世々の儒者《ずさ》どもの、さへづりぐさとぞなれりける。」
 多くの覇業《はぎょう》の虚偽、国家の争奪、権謀と術数と巧知、制度と道徳の仮面なぞが、この『直毘《なおび》の霊《みたま》』に笑ってある。北条《ほうじょう》、足利《あしかが》をはじめ、織田《おだ》、豊臣《とよとみ》、徳川なぞの武門のことはあからさまに書かれてないまでも、すこし注意してこれを読むほどの人で、この国の過去に想《おも》いいたらないものはなかろう。『直毘の霊』の中にはまた、中世以来の政治、天《あめ》の下《した》の御制度が漢意《からごころ》の移ったもので、この国の青人草《あおひとぐさ》の心までもその意《こころ》に移ったと嘆き悲しんである。「天皇尊《すめらみこと》の大御心《おおみこころ》を心とせずして、己々《おのおの》がさかしらごゝろを心とする」のは、すなわち、異国《あだしくに》から学んだものだと言ってある。武家時代以前へ――もっとくわしく言えば、楠《くすのき》氏と足利氏との対立さえなかった武家以前への暗示がここに与えてあ
前へ 次へ
全434ページ中382ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング