《みずおけ》は本陣の門前に据《す》え置かれ、玄関のところには二張《ふたはり》の幕も張り回された。坂になった馬籠の町は金の葵《あおい》の紋のついた挾箱《はさみばこ》、長い柄《え》の日傘《ひがさ》、鉄砲、箪笥《たんす》、長持《ながもち》、その他の諸道具で時ならぬ光景を呈した。鉾《ほこ》の先を飾る大鳥毛の黒、三間鎗《さんげんやり》の大刀打《たちうち》に光る金なぞはことに大藩の威厳を見せ、黒の絹羽織《きぬばおり》を着た小人衆《こびとしゅう》はその間を往《い》ったり来たりした。普通御通行のお定めと言えば、二十万石以上の藩主は馬十五|疋《ひき》ないし二十疋、人足百二、三十人、仲間二百五十人ないし三百人とされていたが、尾張領分の村々から藩主を迎えに来た人足だけでも二千人からの人数がこの宿場にあふれた。
東山道にある木曾十一宿の位置は、江戸と京都のおよそ中央のところにあたる。くわしく言えば、鳥居峠《とりいとうげ》あたりをその実際の中央にして、それから十五里あまり西寄りのところに馬籠の宿があるが、大体に十一宿を引きくるめて中央の位置と見ていい。ただ関東平野の方角へ出るには、鳥居、塩尻《しおじり》、和田
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