ら降りて来た老友金兵衛と共に、この掲示を読んだ。そして、二人《ふたり》ともしばらく高札場の付近を立ち去りかねていた。あだかも、享年わずかに二十一歳の若さで薨去《こうきょ》せられたという将軍を街道から遠く見送るかのように。その時はすでに鳴り物一切停止のことも触れ出された。前将軍が穏便《おんびん》の伝えられた時と同じように、この宿場では普請工事の類《たぐい》まで中止して謹慎の意を表することになった。
 九月を迎えて、かねて村民の待ち受けていた木曾福島からの秋作《あきさく》見分奉行の出張を見、木曾谷中御年貢上納の難渋を訴えるためにいずれは代官山村氏が尾州表への出府もあるべきよしの沙汰《さた》も伝えられ、小前《こまえ》のもの一同もやや穏やかになったころは、将軍薨去前後の事情が名古屋方面からも福島方面からも次第に馬籠の会所へ知れて来た。八月の二十日として喪を発表せられたのは、御跡目《おんあとめ》相続および御葬送儀式のために必要とせられたのであって、実際には七月の十九日に脚気衝心《かっけしょうしん》の病で薨去せられたという。それまでまだ将軍家は大坂に在城で征長の指揮に当たっていたことのように、喪は
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