秘してあったともいう。小笠原《おがさわら》老中なぞがそこそこに戦地を去ったのも、そのためであることがわかって来た。して見ると半蔵が名古屋出府のはじめのころには、将軍はすでに重い病床にあった人だ。名古屋城のなんとなく取り込んでいたことも、その時になって彼にはいろいろと想《おも》い当たる。
 将軍家の薨去と聞いて、諸藩の兵は続々戦地を去りつつあった。兵事をとどむべきよしの勅諚《ちょくじょう》も下り、「何がな休戦の機会もあれかし」と待っていた幕府でも紀州公が総督辞任および長防|討手《うって》諸藩兵全部引き揚げの建言を喜び迎えたとの報知《しらせ》すら伝わって来た。大坂城にあった将軍の遺骸《いがい》は老中|稲葉美濃守《いなばみののかみ》らに守護され、順動丸で江戸へ送られたとも言わるる。それらの報知《しらせ》を胸にまとめて見て、半蔵はいずれこの木曾街道に帰東の諸団体が通行を迎える日のあるべきことを感知した。同時に、敗戦を経験して来るそれらの関東方がこの宿場に置いて行く混雑をも想像した。
 種々《さまざま》な流言が伝わって来た。家茂公の薨去は一橋慶喜が京都と薩長とに心を寄せて常に台慮《たいりょ》に反
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