っとしていない。長く精力の続くこの隠居は七十歳になっても若い者の中に混じって、半蔵や養子伊之助らが歩いて行く方へ一緒に歩いた。そして朝早くから日暮れに近いころまでかかって、東寄りの峠村中の田、塩沢、岩田、それから大戸あたりの稲作を調べに回った。翌々日も半蔵らは背戸田からはじめて、野戸の下へ出、湫《くて》の尻中道《しりなかみち》から青の原へ回り、中新田、比丘尼寺《びくにでら》、杁《いり》、それから町田を見分した。その時も金兵衛は皆と一緒に歩き回った。どうかして稲を見直したいとは、一同のもののつないでいる望みであった。その年の収穫期を凶作に終わらせたくないと願わないものはなかったのである。
 また、また、西よりの谷間《たにあい》にある稲作はどうかと心にかかって、半蔵らは馬籠の町内から橋詰《はしづめ》、荒町の裏通りまで残らず見分に出かけた。中のかやから美濃境の新茶屋までも総見分を行なった。八月の半ば過ぎになると、稲穂もよほど見直したと言って、半蔵のところへ飛んで来るものもある。いかんせん、とかく村方の金子は払底で、美濃方面から輸入する当座の米は高い。難渋な小前《こまえ》の者はそのことを言いた
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